2015年5月31日日曜日

子ども達支援Tシャツの在り方について

2013年5月にミュージシャンの白浜久さんが福島を訪れました。
東京から線量計を携え、数値の意味を辿りながら東北道を北上し福島市から飯舘村を経由して南相馬市へ入り、
一時帰宅の受付会場となった夕闇の馬事公苑から漆黒の小高駅前に立ち、
その後仮設住宅にお住まいの方を訪ね、仮設群の集会所に宿泊しました。
翌日は新地町から双葉町、飯舘村を回り、夕刻には原町区で緊急ライヴを行い、地元の人達と交流を重ね、
翌日の帰路は6号線を迂回しいわき市から富岡町まで北上、
夜の森公園の桜並木を遮断するバリケード前を折り返し富岡駅で黙祷を捧げた後に、常磐道に向かいました。
 津波の被害がそのまま残る姿が、真新しい住宅が立ち並びながらも人が消えた無音の街が、
もう一つの被害を深刻に物語っている有り様に、大変心を痛められた旅路だったようです。
放射性物質の汚染被害はわかりにくいもので、ある程度の知識と学習が必要となります。
しかし、基本的には事故前の規制値と比較すれば、その現状がどのような状態であるかの認識はそう難しくなく理解可能です。
被害は避難指示区域だけに止まらず、濃淡はあれども福島の広い地域、関東周辺の一部は子ども達にとって安全とは言い難い状況となったことは否定し難い事実です。
白浜さんは帰京後にライブでは必ず福島について触れています。
また、この問題をご自身のテーマとして勉強されており、その中からこのTシャツ支援は生まれました。
今までご自身のライヴ会場で販売していたTシャツの売上げから、経費を差し引いて支援の寄付をしたいとのお申し出があり寄付先を探しました。
事故の被害は複雑多岐で広範囲に渡り、解決されない問題が新たな問題を生み出すスパイラルの状況ですが、何と言っても子ども達の健康と未来が案じられます。
原発事故が何を齎したはチェルノブイリの事故後29年の歴史に学ぶことが可能です。
ベラルーシやウクライナでは今日に至るまで国策としての保養が継続されています。
甲状腺がんの多発だけでなく、免疫力が低下し、様々な病気に罹患する子ども達が多いからです。
日本でも2015年5月現在で福島県の検診による小児甲状腺がん確定・疑いの罹患者数は計126人 となりました。
発症要因の評価を別としても極めて多数の発症率です。
スクリーニング効果で不要な発見と捉える意見もありますが、
多数のリンパ節転移や中には肺転移も確認されていることは公式に発表されています。
状況は深刻に受け止める必要がありますが、検診は指定病院で指定期間外に任意で受けることが難しい状況でもあります。
この問題に対しては検診体制を整えたいわき市の市民測定室を始め心ある方々が献身的に検査体制の構築に尽力されています。
また、病気にかかりやすい状況を回避するために、数々のボランティア団体が子ども達の免疫向上と心身の解放の為の保養に力を注いでいます。
Tシャツよる支援金はこの諸問題に取り組む「未来の福島こども基金」 へ寄付をすることにより、
この問題を風化させず、子ども達の未来に少しでも役立ちたいという白浜さんのお気持ちのもと継続しています。
当初はライブ会場での販売が主でしたが、活動を知る人達の声伝いや後押しもあり、賛同する方達の手売りも行っています。
昨年秋の南相馬市での小山卓治さんを伴ったライブでも多数の方達にご協力を頂きました。
また直接購入する機会の無い方の為に、白浜さんのサイト当サイトにて通信販売も行っております。
売上使途につきましては、年2回夏と冬には寄付状況をご報告しており、入金通知も公開させて頂いております。
白浜さんが当初提供してくださったTシャツには「LAST FIGHT」の文字が記されていました。
この事故は避難という事象から様々な問題を派生させましたが、
その中でも取り分けリスクに対する考え方の相違により人々に分断と対立をも齎したことを真剣に考えなくてはいけません。
合理的、客観的に考えれば、事故前の基準を基に安全側に軸足を置く考えに妥当性を認めることは偏った考えとはならないでしょう。
問題は微細に論理の摩り替えが行われ、その結果人々の交流に齟齬を齎し、
本来は信頼の条件を反故にした側へ向く憤りが、身近な方へ形を変えて向っているところに深く根ざしているようにも思えます。
我々の敵は隣人ではなく、この状況を招いた無関心であり、
事故を発生させ責任を取らないままに被害の矮小化へ向うおうとする我々が生み出したシステムとも言えるでしょう。
その一番の犠牲者は自主的選択権を持たない子ども達に他ならず、
このような闘いは「LAST FIGHT」にしなればなりません。
そして、様々な考え方の相違はあれども、大人が子供を護るのは順番ですから守らねばなりません。

Tシャツデザインはその後ご配慮によりあらためられ、「NO SURRENDER FUKUSHIMA 」
の文字が付されました。 「FUKUSHIMA」とは人の生活のあるべき姿を願う心の総称でもあります。
それぞれの胸に宿る大切な思いに「FUKUSHIMA」を重ねて頂ければ幸いです。
福島の子供たちを護りにいかなければ、全国の子供達の未来が危うくなります。
どうか皆さまのご理解とご支援をお願いする次第です。

No More ”nuclear power plant crisis”、No More ”Radio-Activity ”、No More ”tears”
We Say No SURRENDER FUKUSHIMA。

2014年11月15日2年連続の南相馬市ライヴ



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